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先日ある中学3年生が
「先生。日本って第二次世界大戦にカンケーあるの?」
と聞いてきました。
もうびっくり仰天。
その場にいた大人が絵に書いたようにみんな口をあんぐり。
すると
「えー。カンケーあんのぉ?
もうウチとこの社会のセンセ最低や。わかれへん。」と。
いくら戦後ずいぶんたったとはいえ、
夏になれば嫌というほど戦争関係の
ドラマやドキュメンタリーが放送されるし、
広島、長崎は関西の子なら随分近いし、
教科書でまだ出てきていなくても
日本人なら当たり前ではないか!
彼女をとりまく日常会話に全く戦争が出てこなかったということ。
これも恐ろしい現実だと思いました。
この「伝えていないこと」の恐ろしさは
きちんと大人が考えてクリアしなくてはいけないことですが、
この話題から、私が中学1年の時の夏を思い出しました。
夏休みの自由研究として、
二人の祖父の戦争体験を聞きに行ってレポートにまとめたのです。
一人の祖父は職人だったために工場に集められ、
生活は大変でも戦地に行くことはありませんでした。
もう一人の祖父は第二次大戦では
すでに年齢が高かくて出兵しなかったために
それ以前の体験を主に聞きました。
戦争の話は滅多なことでは
口にしたがらないという祖父が話してくれた外地での体験は、
それはそれは悲惨なものでした。
それでも多感な年頃の孫娘に聞かせるにはしのびなく、
随分ふせたことも多かったと後で聞きました。
この時から「おじいさん(私はおじいちゃんという呼び名を使いませんでした)」
というだけの存在だった二人の向こうに
人生を積み重ねた「人物」を見るようになったのも覚えています。
レポートはその名もズバリ「戦争」というタイトルをつけて提出しました。
そして、その年の秋。
文化祭での学年の催しのテーマに提案したところ、
私たち1年生は戦争について研究発表することに決まりました。
当時の食事を再現したり、
歴史をまとめたり、
クラスごとの分担をする中、
私のクラスは地域の老人に会いに行って戦争体験を直接聞こう。
というテーマにしました。
学校の外で班ごとに活動するというのは
危険も伴い学校の規則にも関わるため、
まずは「担任と戦う」という一幕も乗り越え、
一丸となって発表までこぎつけました。
結果、実にバラエティに富んだ、
想像をはるかに超えた実話の数々は、
とても力のあるレポートで多くの人をひきつけました。
レポートの清書中に通りかかった
校長先生がとても喜んで自分の体験を話してくれたのもいい思い出です。
校長先生と直接話ができた感動とともに、
内容の強さから、即採用してレポートに加えたりもしました。
取材の中で印象的だったのは、
内容は平和な時代しか知らない中学生にとっては
ドラマよりも衝撃的で悲惨で胸が痛むことが多かったという事実に反し、
それを話してくださる方々が
生き生きと嬉しそうに話してくれる光景でした。
もちろん困難と戦っている最中の方に安易なことは言えません。
それは苦しいはずです。
どのくらいかかるのかもそれぞれですし、
終わりの見えない戦いは苦しいはずです。
でも、多くの人にとって、
乗り越えてきた厳しい体験は
笑い話になるということなのです。
思えば神戸に引っ越してきた後、
被災の話になると
「大変だったわぁ。」
といいながら近所の奥様方が盛り上がっていたっけ。
案外皆さんの周りでもないですか。
「あれは大変だったなぁ。」
と笑いあっている光景。
乗り越えさえすれば・・・・。
こんな原稿を書いている時、3月11日の出来事がありました。
軽々しく何かを言うなんてできませんでした。
それから半年。
ニュースから少しずつ東北の様子が減っています。
少しずつ明るいニュースも増えています。
でも、阪神大震災を振り返っても
10年以上も区画整理の答が出ずに家に帰れない人もいました。
先ほど話題にした戦争ですら、今でも日本人に影響が残っています。
でも、人間は強いはずです。
いつか笑って振り返れる日が来ることを心から願っています。
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